世の中には不思議なことが時々起こる。今回のアメリカ行きはそんな不思議なことが重なった。
実はこれから新・勤務先として行く大学は、わたしが大学生の時にプチ留学をしていた大学である。わたしは浪人している頃から長期留学も視野に入れて英語をずっと勉強していたのだが、結局長期では行かずじまいだった。それを人生の中でピアノを中学の時に辞めたことと併せて人生の中で後悔していることの2つと考えていた。留学をしないとできない学問がある、というような強い理由が無かったこともあるが、男関係の今考えると非常にくだらん理由で長期留学をしなかったのだ。しかし頭の片隅にどこかにそれが掻き消えていなかったようで、テレパシーが成した技なのか、その大学が突如として目前に立ち現れた。進は「行け行け」と言った。世の中にはいい男とそうでない男とがいるんだなあとつくづく感じた。進も時々「そうでない」側になるが。
「その大学が突如として目前に立ち現れた」のは、本当にいくつもの偶然が重なる。不思議だ。初めてパスポートを取りプチ留学したのが20の時である。それから26年、同じ地に行く。どのようにわたしは経験し、どのようにわたしは感じるだろうか。対象物そのものは変わらないが、どのように感じたか・捉えたか、という眼は変わる。おそらくは記憶の答え合わせや、黄泉の国へ行ってしまった記憶をこちらに引き戻すような作業をするのだろうと思う。または、そんな感傷的なことは一切ないのかもしれない。まあどうなるか。
自分の8月の仕事などのスケジュールを考えると、14日が最も早い出発であった。前後のフライト価格を考えてもそこがベストであった。お盆に重なるため割と早い段階でチケットは買っていた。とにかくチケットは高かったので、2回の乗り継ぎで安く行くことにした。先日気がついた。アメリカ到着は8月15日である。終戦記念日であった。しかも戦後80年だ。この年の終戦記念日にわたしはアメリカに着く。わたしが日本という国の形を考えようとした時、後々になってこの事実はひとつの何か象徴的なものとなりそうな予感がある。父氏91はどう思うか。