起きたら7:30だった。7:30といっても朝ではなく夜。夜の7:30に起きた。寝たのは朝の10時であるからそのようになるような予感はあった。予感の通り、7:30とは19:30であった。「今日は家の周りを散歩したり大学に行ったりして地域を足で知る」というちょっとした計画を立てていたが、それは叶わないことになった。
腹が減っていたので何かを食べようと思った。ちゃんと何かを作ろうと思った。実は昨日までこの家の持ち主2人と1週間ほど同居をしていて、ありがたいことに上げ膳据え膳の状態であったのだが、昨日2人はいなくなった。発った。主が突然いなくなって、わたしは何をしていいのか分からないような感じになった。不思議な感じであった。いなくなった後、なんだか家の中ですべきことが分からなくなり、ちょっと辛くて酸っぱいスナックを右の唇の内部にできた口内炎に滲みらせながら貪った。「この調理器具は使っていいはずなのだが、本当に使っていいのだろうか」「そもそもわたしは何かを料理するのか?」「膨大な時間と空間の中どうタスクの道筋を作ればよいか」そしてすべきことが分からないので、とりあえず寝た。寝たら変な時間に起きてしまい、その結果、それから寝ようとしながらも、ネジゲーや英語の勉強や読書や日本との電話やくだらん動画閲覧をし続けて、結局朝の10時まで起き続けることとなった。
19:30に起きた時にご飯を「適当にする」ではなく「ちゃんと作ろう」と思ったのは、世界的にコロナ鎖国になった時に見たビデオクリップの影響であると思う。そのビデオでは、リモートワークが始まって朝ベッドから出てはやる気が出ずにゴロゴロ、家での1人の仕事にも精が出ずにゴロゴロ、大量の酒を飲んで孤独を紛らかす生活になってしまって鬱屈した生活を送っていたが、そうではなく、朝起きたらベッドのシーツを整える。きちんと顔を洗って家にいてもシャツを着てご飯もきちんと作って食べる。自分を律するのは自分であり、誰かに何かを言われるでなく、自分の生活を自らが主体的に全うすることによって健康な精神でいられる、というようなコロナ鬱からの脱出方法の内容だった。それを見て「確かにそうだ」と思ったし、その時にニュージーランドで単身赴任していたYさんにとってはテキメンにその動画が効いたらしく、その動画の内容について語り合ったことも印象深くさせている一因であった。
料理を「ちゃんと作る」と言っても、わたしのことだから適当である。1人の時の「ちゃんと」とは「包丁を使う」「火を使う」「皿を使う」である。その程度でもよい。自分で自分をもてなすのだ。一度とりあえず始めたら、これしようこれしようと次々に作業興奮が始まる。そうしてなんとなくかっちょいい食事ができた。
食べた。美味であった。この家での初めての調理であった。アメリカでの初めての調理、ということでもあった。QOLが爆上がった。
起きた後の食事とは、食事が進むと同時に窓の外が明るくなっていくものであるが、食べれば食べるほど窓の外はどんどん暗くなっていくことに不思議な感覚を覚えた。
明日は大学へ行く。