細々と活動を続けているオンラインのラーニングコミュニティー「◯学園(marugakuen)」の部活で、「KAKUNOBU」が発足した。下に概要を記載する。
新年度で新たなことしたい方、お尻に火🔥がついている方、久しぶりにmarugakuenしたい方、好奇心満載な方、書くものがあるけどどうも自分で自分を律するのが苦手な方(←nari)、いかがでしょうか❓
日時:毎週/隔週? 日曜日 9:15-10:15am JST
zoomURL:marugakuenのいつものURL
内容:
(1) 最初の5-10分 自分が何を書く/描くかを他の人に宣言する
(2) もくもく書く/描く
(3) 最後の5-10分 自分が何を書いた/描いたかを他の人に報告する
▶︎ 進捗・振り返りspreadsheetあります
▶︎ 何を書く/描くかは各人の自由(例:レポート・書類・ブログ・エッセイ・論文・日記・原稿・投稿文・詩・楽譜・絵・蒔絵・・・)
▶︎ 毎回の出席もOK・切羽詰まっている時だけの出席もOK
★ 他律という自律♡
わたしは元々は子供の頃から書くことが好きだったし、日記という習慣にもなっていたのに、いつしか書けなくなっていった。なぜかは分からない。日々の忙しさや快楽にかまけて自分で自分を律することができなくなったのか。あるいは書く内容が無いのか。「世の中不感症」になって書くエネルギーや衝動が生じなくなったのか。
一度人生の中で書くことが習慣になったことがあると、書かないでいる自分は内なるモラルに反しているように思ってしまっている。常に「書かなければいけない」という気持ちがどこか心の奥底にあるのだ。日記教育(後に自分が教師になって、それは「綴り方教育」だと知ることになるのだが)が盛んであった私の小学校では、毎日タイトルを付けて日記を書かなければいけなかった。担任の先生はその内容を添削するではなく、赤ペンでコメントを毎回書いてくれていた。その日に秀逸な日記を書いた生徒は、その日の一番最後の「終わりの会」で配布される学級通信「ネッシー」(全てネッシーの手書き!※「ネッシー」とは担任の石根先生のニックネーム)に掲載された。そしてこの「終わりの会」では、日記の著者がその日記を音読し、話し合いが行われた。もちろん伝達事項もあったが、この話し合いの時間が大切にされていたように思う。そうして年度末には1年間自分が書いた日記と、1年間の学級通信が製本された。今でも時々本棚から取り出して、40年前の自分が書いたものを読み返している。最良の振り返り活動だ。
中でも「あたしやっぱし子供の時からアホで何も変わらん」と思って忘れられない日記がある。今は手元に無くて引用ができないのが非常に残念極まりないのだが、次のような内容である。
| タイトル:日記のタネが見つからない 日記を書こうと思って日記帳を開いて机に向かっているのだが、何を書いたらいいのか分からなくて悩んでいる。どこにわたしのタネはあるのだろうか?今までどうやって書いていたのか分からなくなった。ずっと日記帳を開いていたら書けるようになるのだろうか?とりあえずここまで書いてみた。 |
今の自分が内容を再構成してしまっているのでうまく再現できないが、このようなことを書いたと覚えている。そうしたらネッシーは赤ペンで次のようなことを書いてくれていたように思う。
| 接着剤をお尻につけてみよう。そうしたらきっとその日にあったことが頭に浮かんでくるはずだ! |
この「接着剤」は大切で、「きっかけ」があって何か手を動かし始めたらきっと作業は進む、ということだろうと思う。「椅子に長く座る」ことの習慣化ということだけでなく、俗に言う「作業興奮」でもあると思う。何かとりあえずやってみたら、そのスイッチが入って作業は進んでいく、というあれだ。何をやるにしても億劫がる私にとっては、この概念は大切な概念である。
サッチャー、マザーテレサは次のように言った。
考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。
思考を深める「書く」という行為が習慣化することは、自分の思考を深めていくことを習慣化するということである。このパノプティコンである「他律という自律♡」のKAKUNOBUを通して、少しでも真人間に近づいていきたい所存である。
(この文章は第一回KAKUNOBUの中で書きました)
(40年前と変わらぬ私なのでありました)
(「KAKUNOBU」に興味ある方ご連絡ください)