屋外で弁論大会があった。旗を挙げる係だったわたしはその準備時間、池のほとりで枯れ木で鯉が釣れそうだったのでその釣りモドキを楽しんでいた、というか、鯉と戯れていた。ある1匹の鯉が自らわたしの麓に上がってきた。水色とグレーの間の色で鯉ではない。頭は四角く、しかし胴体は通常の魚のように長みがある。長い長方体と四角錐の間のような形である。顔は平面にある。目は大きい。わたしは頬のような箇所を撫でてみた。水に濡れていた。嫌がる様子はなく、魚のくせに、慣れた猫のようだった。
しばらくするとその魚は自ら陸に上がり、起き出した。熊のぬいぐるみのように座った。上手なものだった。わたしの横に座ったので、「魚ですか?」と話しかけてみた。そうしたら「魚ですけど水の中が疲れました」と言っていた。「そんなこともあるんですね」と言ったら「時々こうやって陸に上がって疲れを取るんです」と言っていた。
弁論大会は3つのグループが出ていた。そのうち1つのグループは5人くらいの女だけで構成されていた。もう一つのグループは全員男だった。もう一つのはどうだったか覚えていない。
弁論大会が終わった後、近くの商店街のオープンエアーな焼き鳥屋で打ち上げがあった。わたしは女のグループと共に行った。5人だった。1人はリディヤさんだった。残りの4人は日本人。そこはカウンターがクラブ🕺のように混んでいる焼き鳥屋で、わたしたちは皆いろいろな種類のビール(クラフトビール)を頼んだ。「カンパーイ」と言った時のわたしたちはなんだかキラキラしていると思った。そうして弁論大会のリフレクションが始まった。と言っても内容に関するリフレクションは無く「あそこで〜を言い忘れた」「緊張した」「うまく言えた」みたいな軽い感想を延々と言っているだけだった。
ビールを3杯ほど飲んだところで店先のテーブル席が空いたのでそちらに移り、一息ついた。トイレに行きたくなったので奥のトイレに行ったら、広間の座敷席には弁論大会に出ていた男子グループがいた。親御さんやおばあさんや友だちもいて、15人ほどの大きなグループになっていた。「おお!うちらも向こうにいるよ 一緒に飲もうか」と言って女子グループを連れてきた。外はまだ明るかった。
とりあえずわたしの隣に座っていた男子に飲み会開始の挨拶を改めてするよう促した。みんなに笑われるほど非常に辿々しかった。しかし何かまじめなことを言わなきゃいけないと思っているらしく、「自由」について話し始めた。なんでも、我々は誰かに自由を与えられているから感謝しなければいけない。Freedom is bestowed! この自由を与えてくれたことに感謝しながら乾杯しようと思うみたいなことを言い始めた。
それは違う!と思って、怒りに狂って「それは違う!」と言った。「自由は与えられるものではない!我々は元々等しく自由を備えて生まれてきた!しかし社会の中では社会の構造やしがらみや悪の精神によってがんじがらめになって自分の中の自由が発揮・実現できない状況になってしまっている!我々は自ら自由とは何かを考え、自由を発揮・実現するためには何が必要なのかを考え、そして考えるだけではなく実際に自らの自由のために行動していかなければならないのだ!そうして自由を自らの元に取り戻していくのだ!このことこそが自らを決定するということであり、社会のあり方を自ら主体的に変えていくことなのだ!このことが自由だ!Freedom is not bestowed! 自由は与えられるものではない!自ら取りにいかねばならぬものだ!」と演説を始めた。
「しかも!さきほど『弁論大会はみんな平等に良かった』などとぬるたいことを言っていたが、そもそも平等とは何か!我々は生まれながらにして本当は平等であったはずだった!人間としての平等だ!しかし!これまたおなじく社会の構造やしがらみや悪の精神によって、それは歪められていて、平等それ自体なし得られていないのだ!人間の価値自体は平等だったのだ!」とも言った。がどことなく自分が話していることに説得性が無いことも分かっていた。言いたいことはあるのに、大枠しか言えない。このことに関して考え抜いていないことを恥じた。しかし、タブララサ概念は教育の概念のみならず、平等の概念にも言えるのではないかという着想を話しながらにして得たのを自分自身感じていた。
誰も何も言う人はいなかった。しーんとしていて何も反応は無く、わたしの演説の前に微妙な乾杯の音頭を取ろうとしていた例の男が「ということで、カンパーイ」と言ってその場を適当にとりまとめた。その適当具合にやや救われた気もしつつ、やっぱりこの社会は、自ら(わたしということではなく、一人一人の自分自身)に対して無反応・無関心、わたしの居場所は無い。というようないつもの嘆きの気持ちもあった。それでも「何かわたし良いこと言った」「もうちょっと考える価値はある」という気持ちで夢から覚めた。こないだたまたま同僚とルソー『エミール』の話してたから『社会契約論』が夢に出てきたのかもしれぬ。
